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 日本児童文学における三大作家の一人に挙げられる坪田譲治は、明治23年(1890年)3月3日、御津郡石井村島田(現・岡山市北区島田本町)に生まれました。実は、「坪田譲治生家跡地」が残る場所は、シンコー印刷(株)の敷地内にあたるのです。
 往時を伝える生家は惜しまれながら取り壊され、いまでは社員が憩える広場へと姿を変えています。
生家の北側を流れる小川にかかった石橋は、譲治が79歳のときに書いた子ども向けの随筆集『かっぱとドンコツ』の中に、「エヘンの橋」として登場します。譲治が幼いころ遊んだといわれる樹齢100年以上の「クスノキ」はいまも健在。この大木のたもとに、坪田譲治生家跡の「石碑」が建てられています。
 譲治は、昭和57年(1982年)7月7日、92歳で永眠。雛祭りに生まれ、七夕に天寿を全うした、生まれながらの童話作家・坪田譲治。生家跡地では、その面影の一端に触れることができます。

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明治の面影を伝える生家は地域の人々におしまれながらも取り壊され、今では市内における数少ない子供達の遊び場や地域の人々の広場と なって利用されています。

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岡山市の保存樹にも指定されている「樹齢100年以上のクスノキ」と「石碑」。


生家の北側を流れる小川にかかった小さな石橋。譲治が七十九歳の時に書いた子供向けの随筆集「かっぱとドンコツ」に登場します。母は言いました。「あなたの帰られるときがきまっていないから、食事の支度ができないからこんなことになるのです。これからは、今帰ると、ちょっと前に知らせてくだされば、ちゃあんと用意しておきますよ。」これを聞くと、父は、「よし、それじゃ、あすから、おれが裏の橋のところに帰ってきたら、あそこで、エヘンと、せきばらいをしてやるからな。それならいいだろう。」(「かっぱとドンコツ」の一節)


クスノ木のたもとにある、「坪田譲治先生生家跡」と刻まれた銅版がはめ込まれた万成石の「石碑」です。